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CONCEPT
これからのかっこいいライフスタイルには「社会のための何か」が入っている。社会のために何かするってそんなに特別なことじゃない。働いてても、学生でも、主婦でも日常の中でちょっとした貢献ってできるはず。これからはそんな生き方がかっこいい。r-libではそんなライフスタイルの参考になるようなロールモデルをレポーターたちが紹介していきます。
# 013
YOSHIMASA DAZE ARAI
November 20, 2014

r-lib | 垰 智子 × 荒井 DAZE 善正 やらぬ善よりやる偽善

GENRESArrow福祉

やらぬ善よりやる偽善

SNOW BANKのイベントでは秋の代々木公園に人工降雪でステージを作り日本のトッププロたちがライディングを披露する。会場では献血や骨髄バンクの啓発活動も合わせて行われている。

Reported by Tomoko Tao


ー 経験されたつらいことの中でも、特にしんどかったなっていうのは?
 
 まず1つめは抗がん剤が合わない時。抗がん剤って要は毒なんですよ。だから様々な種類の抗がん剤を入れていく中で、体質に合わずにアレルギー症状を起こしてしまう場合があります。アレルギー症状を起こすと高熱になったり、呼吸が苦しくなったり、水がたまったりします。それがつらかったけど、やっぱり1番つらかったのはそのあとの骨髄移植自体ですね。骨髄移植の準備としてまず造血幹細胞を破壊するんですけど、そのために致死量に及ぶ抗がん剤を入れるんです。


ー 致死量!?そんなに抗ガン剤って投与するんですか???

 そうなんです。ちょっと死にそうってくらいまで抗がん剤でもっていって、移植する前日に放射線の全身照射をする。ピンポイントじゃなくて血の病気だから全身に浴びて血を作れなくするんです。放射線って浴びすぎると血を作れなくなるんですね。放射線治療は30分間ずつ午前午後に分けて、右半分左半分を焼くんだけど、体の内側から焼かれる感じがして、そのあと三半規管がやられ始める。実際は揺れてないのに、ものすごくベッドが傾いているように感じてベッドから落っこちそうになるんですよ。


ただ生命的に「生きる」んじゃなくて「活きる」。生きて活動して初めて「生活」が成り立つ。


ー 船に乗ると陸に上がったあとも三半規管がおかしくなって揺れていないのに揺れているように感じますよね。その気持ち悪い感じは想像出来ますが、体が内側から焼かれる感覚というのは想像できないですね・・・治療は無菌室で行われるんですか?

 血が作れないということは、免疫力が0ということ。地べたを触って手を舐めれば死ねる状態になっちゃうから、まず無菌状態にするんです。無菌状態じゃなないと生きていけないので移植にあたって、抗がん剤や放射線をやる前に自分の体から菌を排除する作業をしなければいけないんですね。だから僕は虫歯を抜きました。虫歯らしき歯があると基本的に排除するんです。お医者さんは基本的に危険性があるものは排除します。病気を治して、生きて病院から出すまでがお医者さんのやる作業なんですけど、僕は生きて出るのは当たり前であって、プロスノーボーダーとして復帰することがゴール。そのゴール地点のズレを整えるのが結構大変でしたね。徹夜で先生と話したこともありました。点滴1本流すことに関しても必要性を聞きました。すべてが終わった後、先生に医師としてすごい勉強になったと言われました。こっちから伝えていかないと変えられないし、言われるがままやっていたら何も変えられないんだなっていうのはその時に気づかされました。


ー 入院前と変わらない、プロスノーボーダーとしての生活に戻ることがdazeさんのゴールだったんですね。

 スノーボーダーとして活躍して自分から動いていくことがまさに僕にとって生きるっていうこと。ただ生命的に「生きる」んじゃなくて、僕にとっては「活きる」。生きて活動して初めて「生活」が成り立つ。それを先生に伝える作業ができる人は多くないから、僕はいろんな所で伝えています。患者家族に伝えることにも意味がある。家族の言葉で患者がやる気をだすこともあるのかなって。




ー 悩んでる患者さんを励まして、患者さんがいい方向に踏み出せるようになることは普及活動でのやりがいですか?

 そうですね、なんでも1歩踏み出す勇気を持つことは大変。特に若い人はすごい悩んでる部分もあると思うんですよね。僕自身も最初はそういう勇気がなかった人間なんで。


ー 意外です。1歩も2歩も踏み出せそうなイメージでした(笑)。最初のきっかけは何だったんですか?

 きっかけは僕の友人が突然亡くなったんですよ。当時19歳だった彼とは、小学校、中学校、高校、会社までずっと一緒。彼は学生時代いわゆるヤンキーだったけれど、就職して人が変わって一生懸命働いていたんです。彼は仕事もプライベートも満足していると言っていたけれど僕は満足していなかった。でも、楽しくてしょうがないって言っていた彼が突然亡くなったんです。その時に、明日なにがあるかわかんないということを学んだんですよね。いろいろ悩んでも明日死ぬかもしれないと思ったら、悩んでる自分がちっぽけだなと思ったんです。そこで1歩踏み出す勇気が持てて、勤めていた会社も辞めてプロスノーボーダーになる決心をつけたんです。


この季節の雪に子どもたちも大はしゃぎ

今の時代って考え過ぎて行動にできない人が多いと思うんです。


ー プロになる理由も、そういう出来事があったからなんですね。1歩を踏み出すために大切にしている言葉はありますか?

 「やらぬ善よりやる偽善」という言葉です。これは僕が自分のブログの中で書いた言葉なんですが、この言葉が発端になってスノーボード仲間による募金活動も広がっていったんです。実は治療費を稼ぐために1度入院を諦めて働こうとした時に、それを知ったスノーボード仲間が僕が知らないうちに募金活動してくれたことがあったんです。それが全国規模の活動になって、結果的にたくさんのお金が集まって入院できたんですけど、なぜそこまでのムーブメントになったのかというと、いわゆるトップスノーボーダーたちが動き出してくれたからなんです。けれど、正直彼らも最初のうちは動けなかった。やっぱり有名な人達は動きづらいんですね。偽善者とか売名行為って言われやすいから。だからなかなか動けなかったけど、「やらぬ善よりやる偽善」という言葉を見て、そこで我に返って動き出してくれたらしいんです。そして有名な彼らが動いてくれたおかげで一気に全国規模の活動になったんです。
 「やらぬ善よりやる偽善」というのは、いくら善といってもやらなかったら意味はなくて、やったほうが偽善であろうが意味があるということなんです。例えば平日会社帰りに電車で座席に座っていると、目の前におばあちゃんが現れる。でも疲れているから見て見ぬふり。その彼が、休日に素敵な彼女と座席に座っていると「どうぞ」と席を譲る。端から見たらなんだこの男はっていう行動だけど、おばあちゃんにとっては席を譲ってもらったっていう善意でしかない。偽善であろうが実際の行為が大事で、やったことによって善意になる。今の時代って考え過ぎて行動にできない人が多いと思うんです。


ー 周りの目を気にし過ぎちゃうところがありますよね。

 うん、それで行動出来ない人がいっぱいいるってこと。そういう風に難しく考えないで偽善だろうがなんだろうがやったら良いと思うし、良いことを続けなきゃいけないっていうプレッシャーも良くないと思うんです。1回良いことしちゃったらずっとそれを続けなきゃいけない無限ループにはまってしまうんじゃないか、と思って行動ができない人もいるけれど、そんなのどうでもいいんです。たまたま人生の中で 1回募金をしたってその1円で誰かが救われる。その1円入れたら、人生の中で10万円、100万円入れなきゃいけないのかと思って入れない人の方が、結果的になんにもしていない。偽善だろうがなんだろうが行動する、1歩踏み出す勇気を持つことによって初めて変わる。いくら善意を持っていたって自分でやらなければなんの意味もない。それによって救われる人もいるかもしれないし。




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荒井 DAZE 善正

荒井 DAZE 善正YOSHIMASA DAZE ARAI

PROFILE

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骨髄移植で難病を克服したスノーボーダー
荒井 DAZE 善正(アライ ダゼ ヨシマサ)

特定非営利活動法人全国骨髄バンク推進連絡協議会 理事
財団法人骨髄移植推進財団 地区普及広報員
SNOW BANK PAY IT FORWARD実行委員長


1979年 3月 東京都杉並区生まれ

2000年 1月 北海道を拠点にスノーボード活動を本格的にはじめる

2004年 DVD、テレビ、専門誌等に出演しプロスノーボーダーとして活動を開始

2006年 11月 自宅で突然気を失い救急病院へ。原因不明のまま闘病生活 が始まる

2007年 5月 国立がんセンター東病院で「慢性活動性EBウィルス感染症」 (以下、CAEBV)と診断される

2008年 夏 HLA型が不一致だが何とか移植可能なドナーを見つける事が出来て骨髄移植を受ける

2009年 3月 プロスノーボーダーとして活動を再開。同時に骨髄バンクドナー登録説明員資格取得して活動開始

2009年5月 「活きるを伝える」講演会活動開始。全国各地の企業や学校などで講演会を行う

2010月6月 認定NPO法人全国骨髄バンク推進連絡協議会理事就任

2011年8月 NHK「欽ちゃんのワースト脱出大作戦」に一年間出演。群馬骨髄バンクの全国ワースト脱出に「ワースト脱出請負人」として貢献

2011年11月 代々木公園で「SNOW BANK PAY IT FORWARD2011」を初開催。約1万7千人以上を集客してドナー登録35名、献血46名獲得

現在

TV出演やスノーボードプロ活動の傍ら認定NPO法人全国骨髄バンク推進連絡協議会の理事の活動や代々木公園にてSNOW BANK PAY IT FORWARDを毎年開催して骨髄バンクの普及啓発に尽力している

by 垰 智子
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